こんにちは。
私の長男(中学3年生、元学童児)が、数日後に修学旅行に出発します。
4~5日前の夕食時に、修学旅行出発日の集合場所の話題になりました。
名古屋駅に集合らしいです。
長男は、友だち数名と行くようですが、中には親御さんと行く生徒もいるようです。
集合方法は、家庭によってそれぞれでしょう。
その話題をしている時に、おもむろに私は娘(小学2年生)に言ってみました。
「○○ちゃんが中学の修学旅行に行くときは、おとうさんが駅まで連れてってあげるね。」
娘は、私の目を見ることなく。
ひとこと「いらない。」でした。
“いらない”で思いだした話があるのですが・・・。
娘は、週末にスイミングスクールに通っています。
基本的には、妻が引率しているのですが、妻がどうしても行けないときは、私が連れていくことになります。
妻は、引率すると、ガラス越しに娘のレッスン風景を見ているそうですが、私は、1時間のレッスン時間の内、見るのは30秒から、せいぜい1分です。
残りの時間は、コンビニへ行ったり、スクール施設内の(レッスン風景が全く見えない位置の)椅子に座って、本を読んだりしています。
それでも、レッスンを終えて更衣室から出てきた娘には、いつも「上手に泳いでたねー。」と言っています。
私がそう言うと、娘は決まって「見てないくせに。」と返してきます。
そんなやりとりが、毎回のお約束になっていたのですが、2~3ヶ月前の、その時は、以下のようなやりとりになりました。
「上手に泳いでたねー。」
「そういうの、ほんとに、いらないから。」
この先の人生で、私は、娘から、何度「いらない。」と言われるのだろうか。
そして、最後に「いらない。」と言われるシチュエーションは、どのような状況なのだろうか。
全く想像がつきませんが、近いうちに、“最後”が来てもおかしくない気がします。
“最後”の後は、「いらない。」という言葉すらかけてもらえない・・・。
話はガラッと変わりますが、私が、初めて学童バザーを体験したのは、2010年7月でした。
(つまり、その年の4月に、長男が、一年生として入所したということになります。)
今、2010年のカレンダーを見てみると、その年の夏バザーは、きっと7月4日であっただろうと思います。
(ちなみに、娘の誕生日は、2010年7月9日なので、バザーの5日後に産まれています。)
初の学童バザーで、私が担当したのは、焼きそば売場でした。
初めての時のことは、二回目以降のバザーよりもよく覚えていて、一緒に焼きそばを担当した先輩父母が誰であったかも忘れていません。(全員ではないですけどね。)
学童の年間予定からすると、夏バザーというのは、年度が始まってからの、最初の大きな行事です。
その最初の行事で、私は、自分にとって、学童というものが“要るもの”であるということを、感じたのではないかと思います。
今年度の植田第5学童は、その2010年度に匹敵するほど、多くの新一年生を迎えてスタートしています。
新入所家庭のお父さんお母さんにとって、来月のバザーが、よい記憶として残るものであればいいなあという、ひとりごとブログでした。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
コメントをお書きください
いらないものは、 (水曜日, 06 6月 2018 21:44)
バザーに出そう!