走るために生まれた


   こんにちは。


   ほんの最近のことですが、学童保育クラブのキャンプの意義、というものについて考える機会がありました。

   考えたので、ブログに記録しておこうと思います。


   ただ、私は単に父母の一人です。また、元来が浅慮な人間です。まずはその点について、ご了承願います。


   加えて、以下に記す内容は、植田第5学童関係者の総意ではありません。あくまでも、私の考えです。

   ですので、同意する関係者がいれば、反対意見を持つ関係者もいると思います。


   以上の点を踏まえた上で、読み進めていただきますよう、お願いいたします。




   さて、「キャンプ」ですが、広い地球上では、必要に駆られてキャンプをしている人がいることと思います。

   しかし、ほとんどの場合は、都会での生活を離れて、わざわざ野山の中へキャンプに行く、というのが一般的だと思います。


   当学童でも、保育の一環としてキャンプへ行っています。


   では、「なぜ行くのか」と考えてみると、明快に「これだ」というのは出て来ません。また、それがあるとしても、各家庭それぞれかもしれません。



(冒頭でも申し上げましたが、以下、多分に私見が入ります。)

   私が考えるに、学童のキャンプは、大げさに言えば、「人生に出来事を加える」ためではないかと思います。



   児童について見てみます。

   毎年キャンプが近づくと、いろんな準備をしたり練習をします。それらは、しなくても困らないことばかりです。

   わざわざキャンプに行かず、普段通りの日常を送っても、同じ年齢を重ねて、同じように体は大きくなります。


   それでも行くのは何故か、と問われれば、行くことに価値があるからではないでしょうか。

   そして、行くことに付随する、準備や練習、片付けにも価値があります。



   考えて何かをやり、周りに助けを求めながら、何かをやる。

   やりかけて、上手くいきそうになかったら、他のやり方を考えたり、諦めたりする。


   そういった小さな判断や行動の積み重ねが、その子の後の一生に彩りを添えてくれるなら、それが学童キャンプの意義ではないでしょうか。


   彩りが与えられないこともあると思います。ほとんど何も残らないかもしれません。でも、行ったという事実は残ります。

   その事実を残すために行動したことが、とても貴重なことなのだろう、と思っています。




   以上、全くもって、よく分からない結論になってしまいましたが、そろそろ終わろうと思います。



   あとは、指導員と父母が、子どもたちへの思いと世の中の情勢との均衡を考えて、慎重に判断することになります。




   お読みくださいまして、ありがとうございました。